参加者 【 北村 長谷川 林 平川 僕 (五十音順) 】
人物紹介 【 北村はアパレル。平川はジュエリーデザイナー。北村と平川はペア。林はカメラマン。長谷川と僕は本屋だ 】
写真提供 【 画質が綺麗なのは林(カメラマン)それ以外は北村を除く誰かの 】
※写真をクリックすれば、拡大出来る様になりました。
富士山なんて登る気はなかった。というかずっと避けてきた。
今迄も何度か誘われた事があったが、その都度何かの理由をつけては断ってきた。
だが、ここ数年いろんな山へ登っているうちに、日本一の山、富士山に登ってみたいなと思うようになってきている自分もいた。しかし富士山経験者から、高山病やら山小屋やらのハードな話を聞くと、やっぱりやめた、となるのが常だった。
ある日、参加者最年少の平川宅で何気ない会話をしていたところ、平川が突然、今年は富士山に登ろうと言いだした。この男は一体何を言いだすのかと思ったが、これをきっかけに富士山に登ろう計画が始まった。
今年、世界文化遺産に登録された富士山は連日テレビで放送されていた。登山者数は例年の倍以上は予想されるとか。。ただでさえ混み合うのに倍以上とは。。なるべく人混みを避ける為、平日に日程を組み、人気の吉田ルートを避けて須走ルートを選択。御来光は七合目の山小屋で見て、それからゆっくり頂上を目指すという計画を立てた。
日にちと参加メンバーも決まり、2週間を切った辺りから、それぞれが本格的に自主トレを開始した。
僕と長谷川は普段電車で行くような所には自転車で行き、自転車で行く所には徒歩で行った。近所の多摩川河川敷でサッカーをしては下半身強化に励み、時には生田緑地へ出向き、新しい登山靴を慣らしながら、アップダウンを確かめた。夜はいつもより1時間早く寝て、朝は1時間早く起きるようになった。苦手なストレッチも毎日欠かさず行い、高山病対策で腹式呼吸を意識的にするようにもなった。
仕事以外の時間は富士山の準備に全力を注いだ結果、37歳にして心身ともに一番充実した日々を送るようになっていた。
いよいよ当日の朝を迎えた。
6時に起床して、荷物の最終チェックと芝生の水やりを終えてから出発。
小田急線の成城で06:52発に電車に乗り込む。平川と北村は既にこの電車に乗ってきているはずだ。
約束の1両目に乗り込むと、2人は眠そうな顔をして僕等を迎えてくれたが、北村は軽く会釈を交わすと、再び眠りに落ちていった。
昼ご飯のうどんを食べ終わると、高度順応の為、着替えたり、ストレッチをしたりして1時間程5合目に留まった。
左から林・北村・平川・僕・長谷川
山小屋では長めの休憩を取る。
この時点では富士山に登っているという実感は全くなかった。
今日宿泊する本七合目まで、もう少しだ。
本日の目標地点、見晴館。ここに宿泊する。
今回、僕が…いや、皆が一番恐れていたのは高山病。
対策として、各自用意した酸素を吸引しながら、水分をたくさん摂り、とにかく時間をかけてゆっくり登ってきた。それが功を奏したのか、この時点では誰も高山病の症状は出ていない。
北村が若干酸素中毒になっているのが気がかりだが。。
布団一枚を2人で使用しなくてはいけない。大人には少しきついが、どうする事も出来ない。
こんなに狭いスペースで寝るのは久しぶりだ。昔ネパールの田舎町で泊まったドミトリーを思い出していた。
電気が消灯されると、みんなの寝息と、時々「シュコーー」という睡眠とは無関係な音が聞こえてくる…
おそらく…いや、絶対北村だ。奴が大好きな酸素を吸引しているのだろう。このままじゃ、奴の酸素は明日には確実になくなりそうだ。僕はそんなに酸素を必要としなかったので、明日奴にくれてやる事にしよう。
そんな事を考えていたせいか、なかなか寝付けなく、深夜1時ぐらいまでは寝たり起きたりしながらゴソゴソしていた。
林と長谷川も何やらゴソゴソしている。林の隣のおじさんのイビキがうるさくて眠れないらしい。
僕は耳栓を持ってきていたのと、少し離れていたので、その被害はあまり受けずに1時以降は眠る事が出来た。
04:23 夜が明けてきていた。僕の眼に映っている景色は、もはや何色か分からない。鈍い青色とでもいうのだろうか、とても怪しく妖艶で、異様だが優しく心地よい空気感を肌で感じていた。
実は一番好きな時間帯だったかもしれない。
体の芯から、なにか沸々と湧いてくるものを感じていた。鳥肌ものだ。
今回、山小屋選びには時間を割いて慎重に選んできた。結果、個人的には非常に良かったと思う。
スタッフの方達は笑顔で接してくれて、ある程度の融通はきいた。ご飯も問題ない。
寝場所はやや狭さを感じたのは否めないが、どこの山小屋もあまり変わらないだろう。布団は清潔に保たれていて、虫などもいなかった(標高が高いから元々いないのかな)
今回宿泊候補にあがっていた七合目の大陽館は、通過時にトイレを利用したが、スタッフの対応があまり良くなかった(一部スタッフだとは思うが)
七合目に比べても少し高度は稼げたし、総合的に見ても本当に見晴館にして良かったと思う。
吉田口と合流して人が増えてきた。
少し歩いただけでも、呼吸が全力疾走をしたかの様な乱れ方をする。
北村の目がちょっと虚ろになってきた。心配だが奴には酸素があるから大丈夫だろう。
心配した高山病には誰一人かかることもなく(北村は高山病未遂ぐらい)全員無事に登頂できた。
時間はかかったが、水分をたくさん摂り、休憩をたくさん挟み、これでもかという位ゆっくり歩いてきたのが良かったのだろう。
ここから1時間半程でお鉢巡りと最高峰の剣ヶ峰の頂上(3776m)に行けるらしいが、バスの時間の都合で今回は諦めた。
写真はカメラマンの林に任せて、僕のデジカメは時間を記録する物になっていた。おかげでこのブログ作成には大いに役立ってくれたが。
足元で、乾いた深めの砂が「ザッザッザッ」と音を立てていた。
急な傾斜で、景色が一緒のこの深砂が永遠と続く下りは本当にきつかった。
林は8/29に単独で再度富士山に登っている。なんだこの男は。
ここからは、この砂埃と過酷な下りだったので、カメラを出す気にならず、誰も写真を撮っていない…
『総括』
森林地帯を抜けてからは、同じような景色と砂の坂道を永遠と登っていく。下山の砂走りは、はっきり言って嫌いだった。でもやはり登って良かったと思う。仲の良い友達と登ったという事もあるが本当に楽しかった。
登山としての面白みは別として、御来光と頂上は、登った者にしか感じ得ない何かが確かに存在した。
なんといっても日本一の富士山に登った。これに尽きると思う。
だが、また登るかと言われたら、何かの理由をつけては首を横に振るだろう。
最後に、とても美味しそうに酸素を吸引する北村でお別れです。
※写真掲載について、北村の許可は取っています(笑)
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