MENU
PCサイトを表示
シェアブックス スタッフが送るたわいもない日記
ざっとあらすじを
エベレスト単独無酸素登山のライブ配信で有名になった栗城史多だが、登山家としての能力に疑問を持たれるようになってくる。
単独無酸素というキャッチコピーを売りにスポンサーを獲得していき、高額な費用がかかるエベレストに何度も挑戦をするがことごとく敗退し、徐々に批判の声が強くなっていく。
そもそも彼の登山は単独ではなく、あらゆる人達のサポートを受けていたが、栗城君自身がそれらを公表せずに「単独無酸素」と言い続けていた。
2018年に8度目となるエベレスト挑戦で、登頂できずに下山中に滑落死をしてしまう。35歳の若さだった。
栗城君と疎遠になっていた著者だが、彼の死をきっかけにあらゆる方面に取材をして、徐々に人物像が浮き彫りになっていく。
取材を進めていく中で、隠れて酸素を吸っていたという驚愕の事実を突き止め、彼のエベレスト劇場とはなんだったのかを紐解いていき、一般的に知れらていない栗城史多の心の闇に迫っていく。

2020年にノンフィクション賞を受賞している本だが、何となく読む気がしなくて本棚に眠っていた本。
何で読む気がしなかったかというと、栗城君の登山に異を唱えた本だということが分かっていたからだ。  
僕が最初に彼を知ったのは、2008年辺りのライブ配信だったと記憶している。
当時はその配信を見て、自分では行く事がないであろう海外の冬山登山を、インターネット配信で共有してくれて、なんて素晴らしいんだと率直に感動した一人である。
その後も彼の行動を注目して追っかけていたが、追えば追う程、言動や行動に偽物っぽさを感じるようになり、さらには専門家が批判している内容を見聞きして、熱が冷めた僕はいつしか彼への興味を失っていった。
それからはテレビやネットで彼のニュースを見る事もあったが、僕の興味は完全に薄れていた。
だが、2018年に滑落死したと速報が流れた時は、さすがにネットニュースを見まくって、ここのブログにもその時の自分の心情を書いたことがある。
彼の晩年はテレビやネット上で多くの人から批判されていた。
批判する部分は理解できたが、そんな事いちいち口に出さずにほっといてやれよとも思っていた。
彼が偽物だろうが、彼への興味を失おうが、彼を批判する本は何となく読みたくなかった。
それは何故かというと、まだそこまで有名ではなかった時の動画配信で、歯を食いしばりながら自分の登っている姿を見せ、前向きな言葉を発しながら自分を鼓舞し、時には涙を流して弱音吐き、登山家には程遠い人間味あふれる姿を実際のライブ映像で見ていたからだ。
その時の彼はきらきらと輝いていて、屈託のない笑顔から力強く放たれる言葉は僕を惹きつけた。
本に書いてある通り、登山家としては3流なのだろう。
それはある程度分かっていた。
登山家と名乗るのではなく、エンターテイナーとして活動していれば良かったのだと思う。
登山家と名乗るから、真剣に山と向き合っている登山家やそれらに関わっている人達に総スカンを食らっていたのだと思う。
普通の一般人がライブ配信をしながら世界一の山を目指した。それで良かったとのではないか。

今回、この暴露本のような本を読み、栗城君が何者だったのかはよく分かった。
ただ、それが本当なのか、本当だったとしてもそれを知りたかったかどうかは別として… 
この本に書かれている彼は僕が思っていた以上にヤバい人だった。
最後のエベレストは、その時の状況や登山自体がほぼ自殺に近いものだったと伺わせるものだった。
素晴らしい本に出合ったとかの類ではないが、この本は面白かった…いや本当に面白かったが、読後のモヤモヤ感が半端ない。このモヤモヤは何だろうと自分なりに考えてみた。
著者がちゃんと調べて裏を取ってからの暴露だとは思うが、「それ必要だった?」と著者に問いたい。
よく言えば著者が栗城君の為を思い、真実を暴露したとも取れるが、悪く言えば死人に口なし、さらには死体蹴りと取られてもおかしくない内容だと思う。
うがった見方をすると、栗城君をヒーローとして祭り上げてきた張本人が、彼に陰りが見えてきた途端にアンチ側に回り、彼がいなくなるや否や暴露本を出し一儲けしている。
私情は挟んでいないと言うが、一度栗城君に裏切られているので、そこは本人にしか分からない所ではある。
栗城君が変化していったのは紛れもなく著者を含めたメディア側の人達や彼を食い物にしようと近づいてきた人たちだという事が、この本ではっきりした。

陰で酸素を吸っていようが、マルチビジネスのスポンサーで登山費用を捻出していようが、別にいいじゃないですか。
エンターテイメントとして楽しんでいた層や、立派な登山家と信じて疑わず、彼の言葉や行動に勇気をもらっていた人達も少なからずはいたはず。
エンタメだろうが本気の登山だろうが、彼は彼なりの登る動機があったはずで、別にそれでいいのでは?と思ってしまう。そこに本物も偽物もないのではないか。
ただ彼の無謀な登山のせいで、サポートしている周りの人達の命が危険にさらされていたと言われたら、ぐうの音も出ないが。

賛否が分かれる本だと思うが、僕個人としては著者に違和感を感じ、既に他界して何も反論出来ない故人が可哀想に思えた。
栗城君はとても孤独だったのだと思う。
純粋さと危うさを併せ持った栗城史多という生き急いだ人生の本を、夢中になって僅か1日で読み終えた。
生き方についていろいろと考えさせられる内容の本だった。

1
宇宙飛行士になる為に、どのような人達がどういった試験を受けているのかに興味が湧き、この本を読んでみた。
まず結果から言うと著者はファイナリストには残ったものの宇宙飛行士にはなれなかった。
この本は宇宙飛行士になるという夢が破れた側からの内容と考察である。

選抜試験の大きな流れは、書類選考→一次選抜→二次選抜→最終選抜となる。
宇宙飛行士選抜試験は、次の2つの手法の組み合わせで行われている。
・セレクトイン(集団から基準を満たす適格者をずばり選び出す)
・セレクトアウト(衆参から基準を満たさない不適格者を外していく)
序盤の書類選考と一次選抜はセレクトアウト方式で、学力・教養・精神・心理・身体など多岐にわたる全ての項目で、宇宙飛行士として最低限の基準に達していなければならない。
例えば、他の項目で平均を楽に超える高い点数を取っていたとしても、一項目が基準点以下なら脱落となる。
二次選抜からはセレクトイン方式で個人の資質を計る試験が始まり、通常の人間ドックの3倍にもなる検査で身体中をくまなく調べられ、精神面である深層心理も綿密に分析される。
スポーツテストのような体力検査も受けて、著者は見事に二次選抜を合格し、ファイナリストへと選ばれた。
応募数963名の中から、一次・二次選抜をクリアし最終選抜のファイナリストに選ばれたのは僅か10名で、自衛隊・パイロット・技術者等の職種の人達が最終試験に臨むことになった。
最終選抜は筑波宇宙センターとNASAの宇宙センターで行われる。
回転椅子による平衡機能検査や、隔離エリアによる閉鎖環境試験。
スペースシャトルと船外活動(EVA)のシュミレーター等を行う。
平衡機能検査ではエアーカロリック検査という、耳に温風(44度)冷風(30度)を交互に1分間ずつ吹きかけることでめまいを誘発させる。
その後回転いすに座り、いろんなセンサを付けてから5分ごとに回転数が増していくという聞いただけでも過酷さが伺える検査だが、著者は10分持たずにドクターストップがかかってしまった。
著者は三半規管が弱く、平衡機能検査で他の人達に大きく差をつけれてしまい、これは宇宙飛行士としては、もはや致命的な弱点なのかもしれない。
僕も三半規管が弱く回転系にめっぽう弱いので、この章を読んでいるだけで気持ちが悪くなった。
最終選抜の初日に大きく出端をくじかれた著者だが、まだ試験は始まったばかりで、切り替えてやっていくしかない。
次に行われたのは閉鎖環境試験。
隔離エリアにカメラの監視下の中、10名全員で1週間寝泊まりをし、様々な課題が課せられる。
腕にはアクチグラフというものをつけられ、24時間言動や活動状況が記録される。
ディベートや会社設立ゲーム、さらには時間の縛りが設けられて千羽鶴を折るなどの課題をこなしていく。
閉鎖環境での、技術力・集中力・人間力・チームワークが試される。
奮闘の末、惜しくも夢破れる形となった著者。あと一歩で夢を掴み取る事が出来たはずだったのにと…
その無念の気持ちが克明に記されていたが、この部分を要約してここに書くのは難しく、書いたとしてもかなりの長さになりそうなので、気になる方は本を読んでもらいたい。
個人的には夢破れた後の精神的な葛藤が一番読み応えがあった。

宇宙飛行士という職業は、知力・体力・精神力・人間性・情熱・覚悟等がずば抜けて高い人達だけがなれる最高峰の職業だと率直に感じた。
子供の頃から抱いていた夢を、大人になっても本気で追い続ける姿は本当にかっこよく、この本を読んでいると何も成し遂げていない自分が恥ずかしく感じてくる。
著者は残念ながら宇宙飛行士になる事は出来なかったが、ファイナリストに残っただけでも本当に凄い事だと思う。
この本が面白いなと思ったのは、夢を叶えた側ではなく夢破れた側の複雑な心境が赤裸々に記されてあり、著者自身もこの本を書く事によって気持ちを消化し、自分の心と折り合いをつけていったように思える。
ファイナリストとなり、夢の実現まであと一歩というところまで来たのに叶わなかった心情は想像を絶するものがあるが、一方ではライバルだが戦友の仲間達を本気で応援していて、とても複雑な心境の移り変わりがとても切ない。
著者は宇宙飛行士になる為に最も大切な事だと痛感したのは、覚悟と信頼だと言い切る。
自分の命を預ける信頼と、仲間の命を預かる覚悟が大事だと。
今までは、ただ漠然と宇宙飛行士てすごいな~という感覚だったが、自分が認知していたものを遥かに超えるそれまでの道のりだったり、濃密なドラマがある事を初めて感じた。
全身全霊をかけて何かに打ち込めるというのは、もの凄く素晴らしい事。
そんな人生を自分も送ってみたかった。
こんなスッキリとした読後感のある本は久しぶりだったので読んでよかったと思う。

1
【バッタを倒しにアフリカへ】 前野 ウルド 浩太郎(著)

普段読みたい本は、買取してきた本の中からやAmazonで探すが、久しぶりに本屋に行ったのでじっくり探す事にした。
2階建ての大きな書店だが、探し出してすぐに目に飛び込んできたのがこの本で、強烈なインパクトの表紙と題名に、他の本を探すことなく、その奇妙な表紙の本を手に取りものの数分で本屋を後にした。
本書はバッタ博士と言われ、バッタに食べられたいという子供の頃からの夢を叶える為に単身アフリカのモーリタニアに渡り、若き昆虫学者の奮闘を綴った渾身の一冊。

最初に言っておきたい。
この本が発行されたのは数年前だが、僕が今年読んだ本の中では一番面白かった。
虫が苦手な人は読まない方が賢明かもしれないが。。

子供の頃にファーブル昆虫記を読んで、偉大なるファーブルに憧れて昆虫の研究者になった著者。
冒頭ではポスドク(博士研究員)の身分で、昆虫学者になるべくアフリカへと旅立った
サバクトビバッタの研究をする為に向かったのは、西アフリカのモーリタニア。
サバクトビバッタはアフリカの半砂漠地帯に生息する害虫である。
バッタは漢字で「飛蝗」と書き、虫の皇帝と称される。
研究対象のサバクトビバッタはしばしば「神の罰」と称される大発生をおこし、農業に甚大な被害を与える。
ひとたび大発生すると数百億匹が群れを成して天地を覆いつくし、東京都程の広さの土地がすっぽりとバッタで覆いつくされる。
農作物のみならず、緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると1日100km以上移動するため、被害は一気に拡大する。
地球の陸地の20パーセントがこのバッタの被害に遭い、年間の総被害額は西アフリカだけでも400億円以上にも及ぶ。
バッタは特殊能力を持っており、環境次第で変身する能力を持っている。
まばらに生息している低密度下で発育した個体は「孤独相」と呼ばれ一般的な緑色をしたおとなしいバッタになる。
一方、高密度下で発育したものは、群れを成して活発に動き回り、黄色や黒の目立つバッタになる。
これらは「群生相」と呼ばれ、翅が長く飛翔に適した形態となり、黒い悪魔として恐れられている。
この現象をロシアの昆虫学者が発見し、「相変異」と名付けられた。
バッタ(Locust)とイナゴ(Grasshopper)は、この相変異を示すか示さないかで区別されており、相変異を示さないおとなしい日本のバッタは厳密に言うとイナゴの仲間らしい。

過去の歴史的なバッタの大発生は、決まって干ばつの後に大雨が降っている。
なぜ干ばつ後の大雨がバッタの大発生を引き起こすのかの著者の見解は以下の通りだ。
「干ばつによってバッタもろとも天敵も死滅し、砂漠は沈黙の大地と化す。生き残ったバッタはアフリカ全土に散らばり、わずかに緑が残っているエリアでほそぼそと生き延びる。
翌年、大雨が降ると緑が芽生えるが、そこにいち早く辿り着ける生物こそ、長距離移動できるサバクトビバッタだ。普段なら天敵に捕らえられ、数を減らすところ、天敵がいない『楽園』で育つため、多くの個体が生き延び、結果、短期間のうちに個体数が爆発的に増加していると考えられる」
なるほど。様々な条件が重なり、巨大な群れと成していくようだ。

ポスドク(博士研究員)は任期付きの身分の為、論文を発表して業績を上げなければ、研究者として就職する事が出来ない。
一介のポスドクが成果をあげないままアフリカで研究し続けることは難しく、あらゆる支援制度に頼らざるを得ない。
アフリカ現地での研究を続けたい一心で金策に走る中、京都大学の「白眉プロジェクト」を書いた章は秀逸だった。
京大総長の最終面接で、総長は「モーリタニアは何年目ですか?」という質問に著者は「3年目です」と答えた。
総長は「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難な事。私は一人の人間としてあなたに感謝します」
この言葉で著者は泣きそうになったという。
まだ何も成果をあげていない一介のポスドクが単身アフリカで過酷な環境の中、つらい思いもしつつも奮闘している状況を全て見抜いての言葉だった。
京大の総長ともなると、やはり経験豊富で感性豊かで視野が広く、一言で人の心を掴む術を知っているなと感心させられた。
そして難関の白眉プロジェクトに見事合格し、収入面を気にする事なく研究できるようになった。

と、ざっと本の内容を書いたが、このような世界的に深刻なテーマがとてもポップに書かれてある。
センス抜群のユーモア溢れる文章と著者の狂気が見事にマッチされ、最初の数ページで見事に読み手の心を掴んでくる。久しぶりに冒頭から引き込まれた本だった。
研究対象のサバクトビバッタはその名の通り砂漠に生息しており、じっくり観察するにはサハラ砂漠で野宿をしなければならない。
砂漠を連想する一つにオアシスがあると思うが、オアシスといえば我々日本人のイメージでは、ヤシの木に囲まれた清涼感溢れる綺麗な水場で、とても快適な空間を想像してしまうが、実際のオアシスはドス黒く濁った水を茶色の泥が囲み、そのほとりには、水を飲みに来た動物たちの糞だらけで悪臭が漂っているらしい。イメージはただのイメージに過ぎない。
猛毒を持ったサソリに刺されたり、無収入の中バッタ研究がうまく進まなかったり、自身に降りかかる多少の不幸も全てコミカルに書いてあるが、その奥底にある凄まじい信念と探求心もしっかりと伝わってくる。
現地の研究所の職員との人間関係や自然に対する姿勢は尊敬に値するものであり、一つ一つの言動・行動・心理が本当に深くて感心させられる。
バッタ研究という、自身の心をこんなにも熱く燃やせるものに出会えている著者を羨ましく思う。
僕は文章で笑わせるというのは相当難しいと思っているが、この著者はいとも簡単に読み手を笑わせてくる。
こんな世界的に深刻なテーマだが、小難しい話は一切なく、コミカルに描写してくれている著者に聡明さを感じすにはいられない。

無収入に陥り、不遇の状況になりながらも自力で何とか対策を考え、全てはサバクトビバッタの為に行動に移していく。
当然だが、ほとんどの日本人はバッタ研究の重要性を認識していない。
そこで著者はまずバッタ研究の重要性を認知してもらう為に自らが有名になる事を考え、戦略的にあらゆるシーンで斬新な工夫くわえながら積極的に露出していっている。
僕がこの本をジャケ買いしたように、題名と表紙につられてこの本を購入した人は、まんまと著者の術中にはまったことになる。

連日、バッタを追跡する事で、無秩序に動いているように見えていた群れの活動にうっすらと法則性が見えてきて、バッタの次の行動が分かるようになってきたという。
現時点ではサバクトビバッタは殺虫剤での対策しかないらしいが、著者はそれ以外の方法での被害を食い止め方を見つけ出そうとしている。この本を読むと、この人なら出来るんじゃないかと思ってしまう。
個人的にはめちゃくちゃ面白かったので、今後も動向を追いかけようと思う。

2022年も有難うございました!
2023年もシェアブックスを宜しくお願い致します。

1
PCサイトを表示
電話 0120-316-314(フリーダイヤル)
電話受付:年中無休 [ 10:00 - 19:00 ]
通信中です...しばらくお待ち下さい