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シェアブックス スタッフが送るたわいもない日記
  • 2023.07.01 曇り

    デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

ざっとあらすじを
エベレスト単独無酸素登山のライブ配信で有名になった栗城史多だが、登山家としての能力に疑問を持たれるようになってくる。
単独無酸素というキャッチコピーを売りにスポンサーを獲得していき、高額な費用がかかるエベレストに何度も挑戦をするがことごとく敗退し、徐々に批判の声が強くなっていく。
そもそも彼の登山は単独ではなく、あらゆる人達のサポートを受けていたが、栗城君自身がそれらを公表せずに「単独無酸素」と言い続けていた。
2018年に8度目となるエベレスト挑戦で、登頂できずに下山中に滑落死をしてしまう。35歳の若さだった。
栗城君と疎遠になっていた著者だが、彼の死をきっかけにあらゆる方面に取材をして、徐々に人物像が浮き彫りになっていく。
取材を進めていく中で、隠れて酸素を吸っていたという驚愕の事実を突き止め、彼のエベレスト劇場とはなんだったのかを紐解いていき、一般的に知れらていない栗城史多の心の闇に迫っていく。

2020年にノンフィクション賞を受賞している本だが、何となく読む気がしなくて本棚に眠っていた本。
何で読む気がしなかったかというと、栗城君の登山に異を唱えた本だということが分かっていたからだ。  
僕が最初に彼を知ったのは、2008年辺りのライブ配信だったと記憶している。
当時はその配信を見て、自分では行く事がないであろう海外の冬山登山を、インターネット配信で共有してくれて、なんて素晴らしいんだと率直に感動した一人である。
その後も彼の行動を注目して追っかけていたが、追えば追う程、言動や行動に偽物っぽさを感じるようになり、さらには専門家が批判している内容を見聞きして、熱が冷めた僕はいつしか彼への興味を失っていった。
それからはテレビやネットで彼のニュースを見る事もあったが、僕の興味は完全に薄れていた。
だが、2018年に滑落死したと速報が流れた時は、さすがにネットニュースを見まくって、ここのブログにもその時の自分の心情を書いたことがある。
彼の晩年はテレビやネット上で多くの人から批判されていた。
批判する部分は理解できたが、そんな事いちいち口に出さずにほっといてやれよとも思っていた。
彼が偽物だろうが、彼への興味を失おうが、彼を批判する本は何となく読みたくなかった。
それは何故かというと、まだそこまで有名ではなかった時の動画配信で、歯を食いしばりながら自分の登っている姿を見せ、前向きな言葉を発しながら自分を鼓舞し、時には涙を流して弱音吐き、登山家には程遠い人間味あふれる姿を実際のライブ映像で見ていたからだ。
その時の彼はきらきらと輝いていて、屈託のない笑顔から力強く放たれる言葉は僕を惹きつけた。
本に書いてある通り、登山家としては3流なのだろう。
それはある程度分かっていた。
登山家と名乗るのではなく、エンターテイナーとして活動していれば良かったのだと思う。
登山家と名乗るから、真剣に山と向き合っている登山家やそれらに関わっている人達に総スカンを食らっていたのだと思う。
普通の一般人がライブ配信をしながら世界一の山を目指した。それで良かったとのではないか。

今回、この暴露本のような本を読み、栗城君が何者だったのかはよく分かった。
ただ、それが本当なのか、本当だったとしてもそれを知りたかったかどうかは別として… 
この本に書かれている彼は僕が思っていた以上にヤバい人だった。
最後のエベレストは、その時の状況や登山自体がほぼ自殺に近いものだったと伺わせるものだった。
素晴らしい本に出合ったとかの類ではないが、この本は面白かった…いや本当に面白かったが、読後のモヤモヤ感が半端ない。このモヤモヤは何だろうと自分なりに考えてみた。
著者がちゃんと調べて裏を取ってからの暴露だとは思うが、「それ必要だった?」と著者に問いたい。
よく言えば著者が栗城君の為を思い、真実を暴露したとも取れるが、悪く言えば死人に口なし、さらには死体蹴りと取られてもおかしくない内容だと思う。
うがった見方をすると、栗城君をヒーローとして祭り上げてきた張本人が、彼に陰りが見えてきた途端にアンチ側に回り、彼がいなくなるや否や暴露本を出し一儲けしている。
私情は挟んでいないと言うが、一度栗城君に裏切られているので、そこは本人にしか分からない所ではある。
栗城君が変化していったのは紛れもなく著者を含めたメディア側の人達や彼を食い物にしようと近づいてきた人たちだという事が、この本ではっきりした。

陰で酸素を吸っていようが、マルチビジネスのスポンサーで登山費用を捻出していようが、別にいいじゃないですか。
エンターテイメントとして楽しんでいた層や、立派な登山家と信じて疑わず、彼の言葉や行動に勇気をもらっていた人達も少なからずはいたはず。
エンタメだろうが本気の登山だろうが、彼は彼なりの登る動機があったはずで、別にそれでいいのでは?と思ってしまう。そこに本物も偽物もないのではないか。
ただ彼の無謀な登山のせいで、サポートしている周りの人達の命が危険にさらされていたと言われたら、ぐうの音も出ないが。

賛否が分かれる本だと思うが、僕個人としては著者に違和感を感じ、既に他界して何も反論出来ない故人が可哀想に思えた。
栗城君はとても孤独だったのだと思う。
純粋さと危うさを併せ持った栗城史多という生き急いだ人生の本を、夢中になって僅か1日で読み終えた。
生き方についていろいろと考えさせられる内容の本だった。

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